すべての魂が神様の子である

 今生きている私たち人間やペットは魂が宿るための器です。魂は器がない時、肉体に宿っている時よりもはるかに自由に過ごしています。肉体に宿っているからこそ、沢山の苦労や問題を抱えます。肉体がなければ健康面の問題もありません。

現世では物理的に国境があり入国審査などがありますが、霊界には国境という物理的な物が存在しません。今生きている私たちの世界では国という単位でまとめていなければ混乱に陥りますが、霊界はそうではありません。

魂の過ごし方

 現世での魂は肉体と一体になっており、敏感に状況を感じ取って言動に影響を与えています。犬、猫、鳥、うさぎ、ハムスター、イルカ、クジラなど、例を挙げればきりがありませんが、沢山の動物の肉体に一つの魂が宿っています。実は輪廻しようと試みる魂は沢山あり、現在は母体がおいついておりません。前世では人間で過ごしていたが、生まれ変わって早く成長したいがために犬や猫で生まれ変わる場合もあります。また犬や猫から人間に生まれ変わることも、当然ながらあります。

 死後、魂は現世での行いによっていく場所が変わります。輪廻するあの世の世界、輪廻しない守護神様、守護天使様、神様の世界とありますが、あの世にいく魂の場合は現世での行いの反省が終わるまで、幽霊でこの世をさまよいます。地獄はありませんが、この世をさまようのは地獄ともいえるでしょう。見たくない戦争なども目の当たりにしなければならないかもしれません。

成長している魂は差別をしない

 魂は神様の子ですから、皆平等です。人間は人々を差別して、魂を平等にみられていません。差別をするのは魂を傷つけているのも同然なのです。
 魂が平等というのは、どんな犯罪者でも魂は神様の子なのです。現世では犯罪歴があったとしても、前世では素晴らしい行いをしていた人かもしれません。今は裕福でも、前世では強盗犯だったかもしれません。このように真の意味で、魂は神様の子で平等なのです。
 無差別殺人を起こしている人も、神様の子です。しかし、悲劇を起こすのはいつも人間であります。人は心が成長していないから、悲劇が起こる要因にもなっています。

記憶は永遠に魂に残る

 魂は現世での出来事はもちろん、過去の出来事も永久に刻まれています。魂を傷つけるということは、傷つけた側も傷つけられた側も、永久にその記憶を保持させることなのです。また、幸せな出来事も魂に刻まれます。貴方が与えた幸せや楽しい出来事、自分が与えられた幸せや楽しい出来事、それも魂の記憶に永遠に残ります。

 物事を忘れるのは生身の人間だけなのです。また、傷つけられた魂は、永久に傷ついているかといえば違います。私たち人間が立ち直るように、魂も立ち直るのです。魂が人間に宿っていないとき、立ち直る時は人間よりもいさぎよく立ち直っています。
 しかし、傷ついた分癒えるのにも時間がかかります。普段何気ない行動が人を傷つけているかもしれないのに、故意に人を傷つける行動をとるのはよろしくありません。

宗教・国・人種について

 神様、守護天使様、守護神様は宗教、人種、国に関係なく仲良く過ごしています。まず、魂は好きな姿に容易に変身できるので、国や人種といった概念にとらわれていません。それぞれ特徴があって、それぞれよいとの見方です。霊界では特に姿、形も魂が個性を出す一部となっています。

 ではあの世に上がれない魂はというと、生きている間の概念が抜けられずにいる者もいます。宗教も国も関係ない、肉体のない状態になっているのに、現世での癖が抜けないでいるのです。自分があの世にいけないのは信仰心が足りなかったからだと勘違いしている魂もいます。

 日本での仏教では49日という、あの世で天国に行けるかとの裁判があるとの概念がありますが、それはまったく違います。 また釜で人が焼かれてなどといった地獄も霊界には存在しません。神様は魂に傷をつけることをしません。

宗教を神様はどのように考えているか?

 人々の道しるべとして救いになるのであれば宗教は悪くはありません。なぜなら人としての倫理を守ろうと努力する者もいるからです。また、勧誘を目的としていない宗教での慈善活動もあります。そういった面では人々にとってよいのです。
 しかし、神様の言葉は時代や状況によって変化します。一人一人の言動で未来が違っていきます。それは当然です。悪い出来事を避けるために神様は教えてくださいます。そして、努力で回避できることもあるのです。

 これは宗教だけではなく、スピリチュアルな鑑定にも当てはまるのですが、神様が言ったからと、どんな状況にも当てはまるのではありません。過去神様がよいと言ったことでも、状況によって異なります。だめだと主張していたことがよくなることもあります。神様の言葉も不変ではないのです。

 神様が恐ろしいと思うことは、自分で考えることを失い、すべての判断を宗教などに身を任せることです。とくに宗教で恐ろしいことは、団体となって考え方を争うことです。考え方は人それぞれ違い、言葉の解釈も人によって異なって当然なのですが、なぜか宗教は相違点が許せないという時期もあり弾圧もありました。現代でこそましになってきてはいますが、問題はまだ潜んでいます。

 また、宗教がなくとも、このようにスピリチュアルな話、魂の存在などを知っていけば、人々は宗教から離れても、倫理的に道徳的に行動ができていきます。宗教も心の支えになる方もいるでしょう。しかし、心の支えは宗教ばかりではありません。よい人との出会いも心の支えになります。音楽、美術も心の支えになります。また、倫理的なことを学ぶには物語にも含まれています。

randkの管理人うさぎより
 私のスピリチュアル鑑定では神様が助言しますが、その助言は絶対に守る必要はありません。助言は考えることを放棄せずに、状況に合わせて活用してほしいのです。神様に逆らったからと罰は一切ありません。最終判断はご自身です。

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